焼き物の種類と特徴!

全国の陶器の焼物にようこそ!

備前焼は数ある全国の陶器の中でも、焼き物の原点とも言える魅力を持っている焼き物で、それは釉薬を使わずに焼き締めるという技法を1000年もの間、守り通してきたためです。

備前焼に使われる土は耐火度が低いため、急激な温度変化を受けると破損しやすいという性質を持っていました。そこで、焼成にはじっくり時間をかけ、少しずつ薪を増やしながら温度を上げていく、という技法が生まれました。

釉薬を使わず、念入りに高温で焼き上げた器は、華やかさこそありませんが、素朴な土味と落ち着いたしぶみが感じられます。地味でありながらも備前焼が根強い人気を誇っているのは、やはり土をこねて作る、という焼き物の原点というべき魅力にささえられているからだと思います。

備前焼特有の装飾に窯変(ようへん)があります。窯変とは、器が灰に埋もれたり、器同士がくっついてしまったりしてできる、いわば窯の中のアクシデントによる偶然の美しさのことです。

全国の陶器には施釉や絵付けにその特徴を見出せるものが多くありますが、備前焼の陶工は絵付けではなく窯変にエネルギーを発揮しました。窯の中で灰が器に降りかかってできる自然釉は他の焼き物にもよく見られますがこれも窯変に含まれます。

備前焼では特に斑点状のものを胡麻と呼んで珍重します。また火の近くに置いたために灰の量が多く、溶けて流れたものを玉だれと呼びます。ほかに緋襷(ひだすき)と言って、器と器がくっつかないようにワラを挟んだ部分が赤く焼け上がったものもあります。

器同士がくっついた部分が赤く染まるものは牡丹餅(ぼたもち)と呼ばれています。もともとはアクシデントによってできた装飾でしたが、その偶然に着目した陶工たちは、わざとワラを巻いたり、器を火の近くに置いたりと計算して窯変を生み出すようになりました。

しかしいくら計算をして装飾を施そうとしても、やはり偶然の要素がつきまとうのがまた窯変の魅力です。岡山県の備前焼伝統産業会館周辺では、毎年10月に備前焼まつりが行なわれています。是非、一度はお出かけになってみてください。

九谷焼

全国の陶器の中でも九谷焼は有名です。九谷焼は焼き物にあまり興味がない人も一度ぐらいは名前は聞いたことがあると思います。石川県の九谷焼は、幻とも言われる古九谷の謎めいた魅力もあって全国の陶器の歴史や文化のなかで面白い地位を確立しています。

九谷焼の特徴と言えば、重厚な色彩の絵付けです。時代や陶工により、絵付けの手法は異なりますが、絵付けを特徴的に用いるという点は古九谷の時代から一貫して変わらないものです。九谷焼の絵付けは九谷五彩(くたにごさい)と呼ばれる赤・黄・緑・紫・紺青の5色の色を中心に描かれています。

実は九谷で焼かれたものではないと言う説もある、古九谷ですがどこで焼かれていたにしてもその油絵を思わせる色彩感覚が、九谷焼の基礎となっていることは間違いありません。

古九谷の絵画的な表現は、大胆な構図と自由な線描きを見せて力強く感じられます。古九谷の再現を図った再興九谷と呼ばれるいくつかの窯では、古九谷様式をイメージしながらも独自の工夫を加え人物主体の赤絵写し、赤絵の細密描画、金彩などの世界を開拓していきました。

やがてこれらの手法を統合し、洋絵の具による細密な絵柄に金彩を加えて、華麗な彩色金襴の世界を完成させたのが明治時代の九谷庄三です。九谷庄三の作品は海外への輸出品としての評価も高く、その後の九谷焼の主流となりました。

しかしあまりに華美すぎて生活工芸には向かないという意見もあり今日では古九谷の重厚な作風も復活しつつあります。全国の陶器の中でも九谷焼は有名ですが、時代とともに変化していった作風などを隈なく知るのはな難しいと思います。九谷焼の過去の名作から現代の新作までを幅広く展示や解説してある資料館もありますのでぜひ一度見てみてください。


プロフィール

HN:ひろぽん

焼き物の種類は大きく分けると土器、陶器、磁器、石器の4つに分類されます。またこれら焼き物を全般に陶器と呼ぶこともあります。

全国の陶器であなたが知っているものを挙げてみてくださいと言われると、必ずどの人も名前を挙げるのが九谷焼だと思います。

九谷焼を語る上で必ずといってよいほど付いてくるのが古九谷の謎についてです。

現在でも議論されている古九谷の謎とは一体どんな話なのでしょうか? 九谷焼の本拠地は石川県ですが、その山中町九谷の地で色絵磁器を焼いていたという内容を記した文献があり発掘調査もそれを裏付けたのですが、古九谷様式に合致するような出土品は少なかったようです。

逆に佐賀県の有田では古九谷様式に一致する陶器の破片が多く発見されているため、古九谷は実は有田町で焼かれたものではないのか、という説が主流となっています。

文献によると、明暦年間に加賀大聖寺藩主が後藤才次郎という人に命じて山中町九谷で磁器などを焼かせたと記されています。

昭和45年からの発掘調査により、江戸初期の登り窯の存在と、磁器が焼かれて色絵素地が作られていたことも確認できましたが、それが果たして古九谷なのかどうなのかは確認できなかったようです。

そのため、古九谷はすべて有田で焼かれていたとか、絵付けだけを九谷で行なったなど、さまざまな説が生まれました。

後藤才次郎が起こした窯は、40年ほどして忽然と廃窯になってしまい、これも幻と呼ばれる所以だと思います。全国の陶器にまつわる謎には興味深い話がいろいろとあります。